2004年8月のぼんやり日記









2004年8月31日(火)
お腹の抜糸。
まだ、まだあと数ミリくっつかない・・。
くうううう〜。
ヤブ、ヤブ言ってたけど、やっぱり一応女子だし、
もしかしたら丁寧に見てもらえてるのかも。
本当はもう放置しても良さそうに見える。

午後は電車に乗って表参道の事務所へ。
今週の日曜日に行く名古屋の歌舞伎のチケットを頼んであったので、
受け取る。楽しみ。

帰り、渋谷をブラブラ。
なんだかしらないけど、かき氷にアイスクリームの乗った食べ物が無性に食べたくなり、
おされカフェなどにはおいていないので、
無理矢理不二屋で巨大なかき氷を平らげる。
そうしたら駅前のフルーツパーラーにもかき氷アイス(フラッペっていうのはこれのこと?)
あった。。
こっちで食べりゃ良かった。と少し後悔しつつ帰る。


2004年8月30日(月)
またまた家に居て絵を描いている。
興に乗ってきたところで、
違う仕事の原稿が送られて来たので,
頭を切り替えて、そちらをする。

連載の仕事で、いつも〆切りがすぐだけれど、
好き勝手させてくださるので非常に楽しい。

台風が近付いて来た。
スーパーに合羽を着て原付で買い物に行く。
見るからにやる気満々その上スッピン。

ただたんに、着替えるのが面倒臭くて上から
合羽を羽織っただけなのだが、
雨、降ってなかった。恥かしいのでそそくさ帰る。


2004年8月29日(日)
一歩も外に出ずに絵を描いている。
どうしても持久力がない。
一枚描いたらすぐ疲れる。焦らずいこう。

そんななのに、夜はマラソンを見てしまった。
あ〜あ。オリンピック終わっちゃったな・・。

どの種目が何個メダルを取れたのか全てわかる自分がバカ過ぎ・・。
その上、柔道と体操に到っては、金メダル取った人の名前が全員わかる。
こんなに見ていられたのも未だかつてない。
ほとんどアトランタとシドニーの記憶ないし。
次は北京か。ブーイングされなければいいな・・。


2004年8月28日(土)
久々になんだか知らないけどパフェが食べたくなって、
デニーズで桃が皮ごと付いてる巨大なパフェを食べる。

こうして、時間を無駄に過ごしてペチャクチャしゃべるのもストレス解消。
帰りにコンビニに寄って、駄菓子を買って帰る。


2004年8月27日(金)
久々のバイト。
いやー疲れたーー。
今までは立ちながらもお腹で台に寄りかかって仕事をしていたので、
全然疲れなかったのだが、
お腹をくっつけると痛い為、寄りかかれず、休めず苦戦。
ああ、でも社会復帰(?)出来て良かった。
はじめて入った新人の方がいい人だったのも救いだった。
感謝。


2004年8月26日(木)
とにかく墨汁を使って昨日の夜から文字を書きまくっている。
仕事で結局使われないにしても、
なんとなく雰囲気が掴めてきたような。
コレを載せてはえるような絵を描けばいいのだな・・。
うむうむ。


2004年8月25日(水)
レディースデーということもあり、「華氏911」を見に行く。

思ったよりなんだか消化不良だった。
片方側から見た片手落ちな作品だろうなーとは思っていたけど、
もっと根本的に間違っているというか。

ブッシュがテロリストと仲がいいのはわかった。
じゃあ、そんなに仲が良いのに、何故テロが起こるのか、よくわからない。

結局アメリカ万歳なのが根底にあって、
アメリカがやってきた今までの悪行には全く触れられない。

アメリカ人は見た方がいいだろうけど、日本人の私が見てもなんだかな・・
と思ってしまう作品だった。

それから図書館に行って資料集め。
やっぱり仕事の大半は資料集めに費やされるなあ。
見てワクワクするような資料を集める。
楽しく仕事できたらいいな。


2004年8月24日(火)
おばあちゃんの病院にお見舞いに行った後、
家から原付で10分弱の所にツタヤが出来たので見に行く。

これが、使いにくそうで、結局借りないで帰って来てしまった。
都心の店舗は、監督別、俳優別になっているのに、
「アドベンチャー」とか「ロマンス」とか曖昧なくくりで50音順に並んでて
なにやなにやら全然探せない。
その上私の好きな香港映画は、膨大な海外映画とひとくくりになってて、
どこにあるやら全くわからなかった・・。

家からちょっと遠いのもネックだしなあ・・。
だったら都心の店舗で借りた方がよっぽど簡単だ。
と思ってちょっとサミシイ。〆切り終わったらもう一度じっくり見よう。


2004年8月23日(月)
朝、病院に行く。とうとうまた縫った。ニ針。
なんだかツレテル?
動くと痛い


2004年8月22日(日)
で、これまたぐーたらですよ。
とうとうヤバくなって来ました。
引きこもり。
オリンピックとか見ちゃって。
元の生活に戻れるのか?
一抹の不安も出て来た。

この間の仕事から、また紹介で仕事が舞い込んで来た。
はあ、とりあえず仕事がきて良かった・・。


2004年8月21日(土)
朝、病院に行く。
やっぱり傷が塞がっていない。
月曜日まで塞がらなければまた縫うことに・・。
嫌だなあ・・。

病院に行ったついでにおばあちゃんをお見舞い。
元気になってきた。
このおばあちゃんは、父方の祖母で、89歳。
母方の祖母が101歳で元気なので、若く思えてしまう。


2004年8月20日(金)
昨日の疲れが出たのかずっと寝てる。
もう、まるで小学生だ。

たまっていた日記を更新する。


2004年8月19日(木)
友達のメグにさそわれて、セツの子の展示を見に鎌倉へ。
久しぶりのお出かけ&遠出にドキドキしたけど楽しかった。

鎌倉に着いて、まず腹ごしらえということになり、
町の看板に誘われてタッチの「南風」みたいな喫茶店に入りオムライスを注文。
そこで、もう一度展示のdmを確認したら、なんと木曜定休でやっていなかった。
ばか・・。ばかすぎメグ・・。
人を誘っといてお休みの日とは・・。

と、ちょっと落ち込むも、すぐ立ち直り、ではではデートということで
気をとりなおす。
鶴岡八幡宮へ行っておみくじをひいたら、
病気、「甘くみるべからず」みたいなことが書いてあり、ドキっとする。

で、やっぱりすぐへたばって、
歩いていられなくなったので、メグが気をきかせてかき氷屋に連れて行ってくれた。
これが旨かった〜。人間、休息と水分補給は重要だ。生き返る。
私は宇治白玉氷で、メグが小倉白玉氷だったので、
宇治と小倉を入れあって食べた。

そして、柔道オリンピック代表の「阿武教子選手」はメグの幼なじみだと知り、
阿武選手の話ばかりして盛り上がる。
阿武選手も小学生の時に盲腸をやったらしい。これは親近感倍増だ。

その後長谷寺に寄り一服して、江の電藤沢駅で「チーズあんぱん」を購入。
凄く美味しい。トクした〜。

夜は家に帰って、もちろん阿武選手を応援。
金メダルよかったよかった。

夜、一緒に住んでいる祖母が、この間まで私が居た病院に入院。
ひっきりなしに入院ばかり。


2004年8月18日(水)
初めて退院後原付に乗って病院へ。
退院の日に、「水曜午後からの診療に来て下さい」
と言われていたのに、
担当医の時間帯は午前でビックリ。
聞き間違えたのだろうか?

それでも無理矢理、受付で先生を呼んでもらったら
診察してもらえた。
抜糸をしてかなりたつのに、まだキズが完全にふさがっていない。
血がにじんでいる。
そこをまたまたピンセットでつまんだりされてドキドキする。
また土曜日再診となった。

ゆっくり乗ったら原付にも乗れた。わーい。

家にいると気は滅入るし、頑張れないけど、
外に出ると色々頑張れるもんだ、と思った。

夕方には母と買い物に行き、料理もした。
人並みに戻って来たようだ。


2004年8月17日(火)
午後の二時くらい。予定の時間に、
「イラストレーション」誌の編集者の方が取材にいらした。

以前、「ザ・チョイス」の大賞展でお会いした事はあるものの、
とても和やかに話がすすむ。

実は私は、かなりの人見知りなのだが、
終わってみれば和やかに自分の意見を沢山言うことができていて、
取材をする方の何気ない手腕に驚く。

他の方の取材記事も楽しみ。



2004年8月16日(月)
ホームページを更新しようと少し日記を書くが、
インターネットもろくすぽ見続けることができない。
頭がくらくらして、椅子に座っていられない。
寝てばっかだったからだろう。

もともと血圧が低いのも要因らしい。
立ちくらみばっかり。
なんだかもやしっ子だ。

我ながら、やっぱりひ弱。
というか痛さ、寒さ、暑さ、空腹感、等に対する
辛抱ができない。堪え性なし。

ぐーたらぐーたら。
オリンピックばっか見てる。
こんなにオリンピックばっかりみているのは、
小学生以来じゃなかろうか。
すっかり詳しくなった。


2004年8月15日(日)
とにかく〆切りが終わってバタバタしているうちに入院したので、
部屋の中が汚い。
その上火曜日に、この田舎の四畳半へ取材の方がはるばるやってくる。

部屋を休み休み掃除して、
ラグ等を買いにホームセンターへ行く。

まだバイクに乗るのは怖いので、
父に車で連れて行ってもらう。


それでも昼過ぎには帰ってきて、
オリンピック中継などを見て、
昼寝して・・。とゆっくり準備。

夜はまたお祭りにいってしまった。
夜店の古本屋でゴーギャンの画集を50円買う。
わーい。掘り出し物だ。

地元の太鼓の会の演奏をみたのだが、
思い思いのキメポーズにやられ、吹き出しそうになってしまった。
スミマセン・・。
その上、途中から頭もくらくらして参った。


2004年8月14日(土)
朝一番に先生が病室までやって来て、抜糸。
といっても糸じゃなくてホッチキスみたいなのでとめてある。
それをプチプチピンセットで取る。
怖くて見ていられない。
痛くないんだけど、なんだか皮を引っ張られる感触は嫌な感じ。


でもまだ完全にくっついていないらしく、
キズ口を、補強テープを貼っての退院ということになった。

アテネオリンピックの開会式の再放送を見ていると父がやって来た。
色々手続きをとって午前中には退院。

2年前、退院した時にも感じたような不思議な感覚。
ちょっと長い海外旅行にでも行っていたような。

それにしてもすぐ疲れる。
座って居られないし、テレビも見続けられない。

しかし夜は歩いて1分くらいの公園で盆踊りがあったので、
ふらふら出かけてみた。

こじんまりしたお祭りで、
暗闇に浮かぶ櫓に浴衣、太鼓の音。
まるで宮沢賢治の童話に迷いこんだみたい。桃源郷のようだった。
夢か?

綿菓子100円と枝豆50円を買って帰る。
なんだか嬉しかった。
今日の朝まで病院にいたのだなあ・・。と思う。


2004年8月13日(金)
今日は朝から水木しげるの「ほんまにオレはアホやろか」を読む。
またまたとても面白い。
山下清といい、入院中のうやむや気分を吹き飛ばすのに
ぴったりの本だ。

せっかくなので院内の外にあるベンチに腰かけて読んだ。

その上兄が貸してくれたゲームボーイアドバンスをやりまくる。
まるで小学生のように。
ゴルフゲームなのだが、やり出すと止まらない。
看護婦さんになんのゲーム?なんて聞かれてチョイ恥かしい。

とうとう明日が退院。

ずっと寝てばかりいたせいか立つと頭がくらくらする。


2004年8月12日(木)
やっと体調が良くなって来たと思っていたのに、
朝起きられない。
朝食のパイナップルをひとかけ食べて気持ち悪く、
ずっと寝る。
昨日はしゃぎ過ぎか?

寝具の交換と体を拭いたら少し元気になって
「美味しんぼ」と山下清の「ヨーロッパぶらりぶらり」を読む。
とても面白い。

昼前に友人が花束を持って来てくれた。

昼食は酢豚。やっとこ食べる。

だんだん元気になってきたので、
手術後初のシャンプーをする。

トイレの隣に、シャワー仕様の洗面台があって、そこで頭だけ洗う。

この夏場に、頭が洗えなかったのは辛かった。
三回くらいすすいでようやく泡立つ。
もの凄く気持ちいい。

「健康系アミノ式」を初めて買って飲む。
トイレに行くのも辛くなくなってきた。

毎日すぐ夜が来て、
ああ、今日もまた夢を見る時間になってしまった。と思うようになった。


2004年8月11日(水)
昼すぎにゆかがお見舞いに来てくれる。
この間私の親戚と行った時の山の写真を見せてもらったり、
貸していた洋服を返してもらったり。

夕張メロンジュースと玄米クッキーをもらい、
水木しげると山下清の本を貸してもらい、
「美味しんぼ」のマンガをくれた。

ゆかについて来てもらって初めて院内の売店まで行く。
ペットボトルの中国茶を買う。変な味。

ゆかはなんだか家族ぐるみの付き合いなので、
わざわざ自宅に電話して病院の場所を聞いて訪ねてきてくれたらしい。
感謝。

やっと笑っても大丈夫な時に来てくれてよかった。
久しぶりに脇腹を押さえながら、ゲラゲラ笑う。

ついでに普段バイトで見られない
「トリビアの泉」を見て夜は他の人にうるさくないように隠れて
ひっそり笑って見た。


2004年8月10日(火)
もうこの日から常食。ふつーのご飯。
というかむしろ、こりゃ病院食か?というようなコッテリメニューが並ぶ。
例えば、昼はカツ丼だった。ご飯どんぶりてんこ盛り。
あの、普通でも食べ切れません。と思って眺めていた。

昨日退院した大学生の替わりに、今度は子宮筋腫の中年女性が入院してきた。
明日、子宮の摘出手術を行うそう。
そして今度は、風邪の中年婦人が退院し、
替わりに大腸炎の20歳の子が入院してきた。

ベットが空く暇がない。

3か月前くらいから楽しみにしていたムーミン展の図録を父に買って来てもらう。
ああ、とうとう行けなかった。

夜には友人が会社帰りにお見舞いに来てくれた。


2004年8月9日(月)
私の入った病室は6人部屋。
左右に3っつずつベットが並ぶ。
私は両隣りベットに挟まれた真ん中。
3人が老人で、一人が風邪をこじらせた中年の婦人。
もう一人、お向かいのベットの子は食中毒の大学生。

でも、大学生は、
もうこの頃にはモリモリ元気になり、その日、退院して行った。
元気でモリモリ食べててうらやましかった。

トイレの話題ばかりで申し訳ないのだが、
とにかく最大の出来事なので仕方ない。
尿を出すのが一苦労なのだ。
完全にウミガメ。どうしても涙がにじんでしまう。
チョイ間抜け。

その上お見舞いに来てくれた母が、
笑わせてきて、キズがとても痛かった。

夜はなんだか病院の都合とかで、おかゆと、おかずが弁当だった。
それも唐揚げ、シュウマイなどアブラっこいものばかり。
男子の弁当、それも肉体労働系のおかず群に思わず力なく笑ってしまう。

トイレに行くのにも一苦労、おまけに絶えず点滴をしているので
全然食欲が無く、まったく食べられなかった。

やっと入院後初のテレビを見るが,
この月曜9時のドラマはなんなのだろう。
とっても面白くなくてビックリした。


2004年8月8日(日)
朝方、とうとうベットを降りて車椅子でトイレへ。
右脇腹を切った為に右足を動かすと激痛。
車椅子の、足を載せる所に上げるたった数センチが上がらない。
それでも無理矢理のっける。

まだ水を飲む事を禁じられていたためにノドカラカラ。
こっそり車椅子トイレの洗面の水で口をゆすいでひと段落がついた。

戦争とか飢餓とかで泥水を飲む気持ちが痛い程わかった。

そんな悲劇の一人を自負していたのに、
夜が明けるころにトイレに行こうとすると、
看護婦さんに「歩けますか?」
と言われてビックリする。

午前中のレントゲン撮影では、もう病気ではないみたいに
「はい、立って〜」と事も無げに言われる。
ええ。っと驚いても仕方ないので、
無理矢理立ったら立てた。
あ、なんだ、立てるんだ。と少し感動。

レントゲンから戻ると集中治療室から一般病棟の大部屋に移った。

もうこんな所来ちゃうと、わざわざナースコールしていちいち
看護婦さんに車椅子を押してもらうのも面倒くさいので、
点滴棒を頼りに歩いてトイレまで行くようになった。

人間って凄いもんだ。と歩けることにビックリ。

その上夜にはおかゆにちゃんとした夕飯まで出た。

それにしても盲腸といえばとりだたされるガス。
すなわちおなら。(すみません)
これが自分でもこれはなに?という心細いものだった。
なんというか、やる気のないため息みたいな感じ。
弱〜いはぁーぁという感じだった。
ぷーなんて音が出るのは健康な証拠なんだと知った。


2004年8月7日(土)
朝6時。起床時間。痛み止めが切れてきた。
昨日の夜と比べものにならないような痛みが押し寄せるが
看護婦さんに「朝ですよ。顔を拭きますか?」と聞かれ、
それどころではないので、痛いながらも断ると
「大丈夫〜?ははは」との答え。

私の状況、理解されてないのねん・・と思いつつ、
もう波どころか「全てが痛みのみ」の大祭がお腹で繰り広げられてきたので、
ナースコールを押して、無理矢理また痛み止めを打ってもらう。

痛みがおさまり、うとうとして寝ていた所に
医者3人、看護婦3人くらいの大名行列みたいなのがやってきて、
人のお腹をぽんぽこ触り、
意味不明な言語を交わし合い、
「んー多分ね。盲腸」
と宣告される。

思わず、とっても頭悪くて恥かしいのだが、
お医者さんにむかって「がーん」と言っていた。

・・・。バカすぎる。その上なんだか時代も感じる。

すぐその後にエコー検査。
入念に見るセンセイ。多分私と変わらないような若いセンセイ。
そして
「99%盲腸ね、いわゆる。虫垂炎ね。
もう、ちょっと腹膜炎を起こしかかってるから、今が切り時ね。
逆に言えば今切らないとダメね。」
との選択の余地なしのお言葉。

・・・え。手術。。
晴天の霹靂とはこのことだ、と思った。
昨日までは手術するなんて夢にも思っていなかったのに。
8月に入ってからの体調の異常は、盲腸による炎症の熱とのこと。

様子を見に来てくれた父は「もう切っちゃった方がいいよ。こういうのは。」
とノリノリ。
観念してなんだか合併症だのなんだの怖いことが書いてある手術承諾書にサインをして
午後1時半から手術になってしまった。
若いセンセイだったので失礼にも「盲腸の手術やったことありますか?」
とか聞いちゃって、露骨にむっとされつつ
「しょっちゅうです。」と言われる。

とりあえず、色々約束している人たちに箇条書きでメール。
メグに電話したら「あんた面白いよ。タッチみたい」
と言われる。なにそれタッチって。と切ったあと思う。

観念したと思いつつもなんだか悲しい。
優しい看護婦さんが解らない事が有ったらなんでも聞いて下さいと言うので、
手術は20分くらい、切った後は痛い、執刀医は3人など、思い付いた事を質問する。

でも大雑把な看護婦さんに担当が替わってしまって、
「お腹拭く必要なーし。毛を剃る必要もなーし!」
と、勢い良く言われて、もうちょっとちゃんと見て欲しいな・・などと思う。

ツメを切り、
手術衣に着替え、
痛み止めの注射を肩にされ、
自分で歩いて手術室に行く。

手術室では奥田民生が流れていた。
びっくり。「患者さんがリラックスできるようにねー」
などと言われるけど、本当はお医者さんが聞きたいんじゃ・・
とおもいつつ、血栓止めの靴下をはかされ、
手を固定され、なんだか怖い顔の医者が入ってきて
点滴から麻酔をいれられた直後に意識が無くなった。

次の記憶はノドの奥に気管を確保する為のチューブをいれられてもの凄く痛いのと、
「大丈夫よー」とのお医者さんの声と、
ベットを移動するため体をずらした際のお腹の激痛。

たった一秒くらい。

そして病室に移され目は開かないけど、横でお父さんが「ああ寝てる」と言っている声。

これまた一秒くらい。

その後、猛烈な尿意に襲われナースコールを押すも、尿、全然出ない。
辛かった。おまけにお腹は痛いしノドはカラカラ。熱い。
したい気持ちは有るのに下半身がまったく言う事を利かない。力が入らない。

起きると辛いだけなのでただひたすら寝る。

母が様子を見に来るが、酸素マスクをしていておまけに、
声がまったく出ない。
辛い辛いと思っている自分。
今にして思えば、尋常な精神状態ではなかった。


2004年8月6日(金)
夜中までクライアントの人と、飴をばりばり食べながら、メールでやり取りを続け、
ようやく仕事が一段落した深夜1時。急にお腹全体に激痛が走りはじめる。

びりびりびりびり→しーん→びりびりびりびり→しーん

と波あり。かなり食あたりの酷いのと似た痛み。
実家なので、とりあえず母に痛みを訴えるが、病院行く?と言われ、
そこまでではないような気がして断る。
母は「さんまのまんま」を見ていて、
しきりにゲストの五木ひろしの犬の可愛さばかり話してくる。
私も痛いなりに横目でテレビを見て笑い、とりあえず寝ることに。

しかし寝ても、痛さに起きる程の激痛が合間合間にやってくる。
軽い吐き気がするのでトイレに駆け込むが、何も出ない。
トイレの前でうずくまって耐えるが結局痛さがおさまらず、
虚空をみつめて
「でも冷や汗出る程でもないから大丈夫かな。一人で香港とか旅行している最中でなくてよかった」
などとめどない妄想が次々湧く。

が痛さに妄想までかき消されてきたので、
もうヤバイと観念して立ち上がり、母に勇気を出して救急車の出動を要請。
しかしそう言って電話してもらった直後に限って痛さの波がおさまり、
小心者としては救急車呼ぶ程ではなかった?
などそっちの方が心配になる。

時間は夜中三時。
救急隊が来る頃には守備良くまた盛大に痛くなってきたので、
腹を抱えながら救急車の中へ。
「みちこの充は、あだち充の充です」
などと救急隊に説明しながら、二年前入院したことのある病院へ。
痛くてお腹を抱えて寝ているわりには、
珍しく救急車に乗るんだから、外の景色みたいな〜と心の底で思っていたがあきらめる。

病院では検査、検査、検査。
血液、尿、CT、レントゲン。
痛くて時々唸るが、
「検査の結果が出るまで痛み止め打てないのよ」
と言われても、痛さの為、ベットの端を握りしめ、うーうー言っていたら、
急にブスっ、と腕に痛み止めの注射をされる。
「え・痛み止め打てないんじゃ・・」
とおそるおそる聞くと
「あまりに痛そうだからね、ははは」
と宿直医の女医さんがわらう。
・・・大丈夫だろうか・・。

その日の夜に食べたものを聞かれ、正直に答えると、
「サザエか・・また微妙なもの食べてるな」
「あの、飴をばりばり食べたんです。その直後から痛いんです」
「(鼻笑い)飴は関係ないと思うよ・・」

などと言われ、結局原因が掴めず、とりあえず入院することに。

えらいことになってしまった・・。


2004年8月5日(木)
そしてまだうだうだ調子悪く、友達の誘いも行けず、
もんもんもん。
その上、焼いたCDが空だったよう・・。
もう一度速達で送る。


2004年8月6日(水)
鼻水のかみ過ぎで耳が膜を貼ったよう。
37度くらいだったのでバイトへ。
つかれた。


2004年8月3日(火)
で、まだまだ風邪。
しかし仕事。
そして又寝る。


2004年8月2日(月)
今日から新装開店だというのに
バイト休みました。
ごめんなさい・・・。


2004年8月1日(火)
朝、登山組を見送ってから帰宅。
ヤバイ。鼻水が止まらない・・
しかしメゲテいられず仕事仕事。
夜中うなされる。
悪寒・悪寒・悪寒。



2004年7月の日記


2004年6月の日記


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